ある小さな物語。”アモーアの森の中で” 第一話
ホールグレインの手作りパンと、ファームのバター、ビオのヨーグルト、ネトルティーの petit-déjeuner, (ブレックファースト)を楽しんだ後、私たちはマロンを探しに朝のモーニングウォークに出かけた。
マロン探しといってもフランス語では食べられる栗はchataigne(シャテン)と言って、marronは渋栗で基本食べられないもの。そしてこの季節になると栗拾いやナッツ拾いを楽しみに森へ行く人が多い。
そして私たちも近くにある森までシャテン探しに散歩へ行った。秋の紅葉で彩られた森は静かで美しく、私たちはしばらく森の中で目を閉じ、自然の音を聞いて、心の静寂に耳を傾けていた。
シュシュラパはネブロンにこう言った。「自然も美しいけれど、野生の動物たちも見られたらもっと素晴らしいのにね、知ってる?ヨーロッパではずっと前にたくさん繁殖してしまった野ウサギの駆除するために、人為的にウィルスを導入し多くの野ウサギが死滅してしまったんだよ、」と。
確か、オーストラリアもそうだった。
そしてシュシュラパはこう続ける。「もし、もしも、第三次紛争がこれから先起こるとしたら、戦争としてではなくて、バイオロジカルアタックで人々を危険においやることができるかもしれない。動物にしたことと同じように、世界に人工的に作られたウィルスを拡散させることによって人口を減らすことができるのではないか。」と。
私もそう思っていた。テクノロジーは素晴らしい変化と遂げたけれど、神の領域を超えるところまできてしまっているのではないかと。だからそれを誰かが何かの徳の為に私たち人間に悪いように使わないで。そう願うばかり。
栗の木を見つけるのは難しいよ、と言われていた通り栗の木は見つからなかったけれど、静かで穏やかなモーニングウォークの後、リフレッシュした私たちは、家に帰ってきてワッフルとインドのスパイスたっぶりのチャイを飲みながら、午後の仕事に取り掛かりました。
しばらくたった後、シュシュラパの母が訪ねてきた。
私たちが数日前にお土産に買ったたんぽぽジャムをマモにプレゼントするとマモは突然泣き出してしまいました。
私が驚いて、大丈夫?と聞くと、パトリシアマモはこう言いました。
今日ね、ジョンウィーががんのステージ3の告知をされてしまったの。こんなに早くきてしまうとは。。
と泣いている。
わたしがこれからどうするの?と聞くと、
放射線治療をたぶんするわ。
と。
放射線治療…
シュシュラパはこう言った。ジョンウィーはナチュラルセラピーのことはあまり知らないし、彼にとってはそれが一番いいのかもしれない。
確かに。そうかもしれない、と思った。
わたしには「セカンドオピニオンはどうかしら?ナチュラルセラピーはどう思う?」とか言いたいことがたくさんあった。けれど、私の言葉でジョンウィーの人生が変わってしまうとしたら簡単にそんなことは言えない。
私が自然療法士だったら。。といつも思う。
せっかくマモとジョンウィーは一緒になれたのに、人生はなかなかうまくいかないもの。
ジョンウィーはなぜ、マモに40年前お互い知り合っていたのに一緒になっていないでお互い別の人と一緒になってしまったんだ、どうして、と悲しがっている。
でも私はこう思う。40年前に二人が出会っていても、必ずしも今みたいに穏やかに幸せに暮らせていたかは誰にも分からないんじゃないかな。40年前は様々な状況が違うわけで、今二人が出会ったからこそ意味がある。って思える。
だから、二人には幸せになってほしい。彼が病気を乗り越えられたそのときは二人の愛はもっと深まるんだと思う。
ジョンウィーはタンポポジャムのことどう思うかな。