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アメリカ銃乱射事件の真相 Flower in the gun【世界の平和を祈る】


アメリカと銃乱射事件の話。

母から二人について話はよく聞いていたが、アメリカに住むジャックと叔母のミヨコに初めて会ったのは私が小学校3年生ぐらいの時だった。

ミヨコとジャックは孫のジャスティンと一緒に日本にやってきた。

同い年ぐらいだった私とジャスティンはすぐに仲良くなり私はアメリカに訪ねに行く行く約束をした。ジャックもミヨコもいつも招待してくれていたので、それからというものジャックとミヨコが夏になると毎年ではなかったが、オクラホマ行きのチケットを送ってきてくれた。その他にも二人がディズニーのリトルマーメイドや、ビデオを色々送ってきてくれていたので私と妹はそれを楽しみにしていた。ジャックをとミヨコは私の母を娘として、私たちを本当の孫のように可愛がってくれた。

母は19歳のときにミヨコの姉を連れて初めて二人を訪ね、グレイハウンドでアメリカを横断した。私の初めてのアメリカ滞在は小学生6年生の時だった。

アメリカのオクラホマのカントリーの閑静な住宅地の一軒家、休日は所有しているボートにのり、乗馬をし、ハンティングをしていたジャック。近くにはバスフィッシングができる場所もあり、ジャックの息子のジャッキーにフィッシングによく連れて行ってもらった。そして市内の高級デパートでマネージャーをするミヨコ。二人は本当に愛し合っていて幸せそうだった。

しかし、私には気になることがあった。

それはジャックとミヨコのキッチンの裏ドアにライフルがおいてあったことだった。そして玄関に入るとまたライフル、そして枕の下にピストルがいつも隠されていた。合計で4本の銃が部屋のドアや、入り口付近に置かれていた。ジャックは自分や大切な家族を守るためだという。ただ、わたしたちがアメリカを訪れている間はミヨコが万が一ということを考えて、キッチンの裏ドアのライフルと玄関の入り口のライフルを私たちが誤って触れてしまわないように閉まっていた。

私は子供ながらに恐ろしいと思った。家の中にライフルも含め銃が置いてあるなんて。

ジャックに聞くと、お隣さんもそうだと言う。

そしてジャックはある恐ろしい体験をしてから枕の下にもピストルを置くようになったという。

ある日の夕方、彼が市内のウォールマートから出てきてバックシートに買ったものを置き、車に入ろうとしたところ、後ろから見知らぬ男にピストルをこめかみに突き付けられた。

今すぐ金をだせ、と男は言った。

その男はジャックの財布をとって逃げた。

ピストルを突き付けられた恐ろしさからジャックもピストルを持ち歩くようになった。

他の人たちがそうしているように。

二人の住むオクラホマの町は平和だった。私たちが夏休みになりオクラホマを訪れるためにジャックがペカンナッツを拾いペカンナッツケーキやキャロットケーキを作ってくれた。

ある夏にはアメリカ人が好きなシックスフラッグスにも連れて行ってくれた。

そんな平和そうに見えるのに、いつ銃で狙われるのかが分からないから自分を自分で守らないというのがアメリカなんだよ、と言っていた。

特にカントリーサイドになると銃の保有率は上がるとジャックは言った。

私は子供ながらにアメリカには重大な問題があると感じた。

わたしが大人になってからあるアメリカの友人に銃問題の話をどう思うかと話していたら、その友人は幼い頃に自分のいとこをstray bullet(流れ弾)で亡くしたと私に告げた。

いとこは家族とキャンプをしていたログハウスで家族と会話をしていたその瞬間、木の壁を突き抜けてすごい勢いで流れ弾が彼女の頭を命中し、彼女はその場で即死したそうだ。

そんなクレイジーな話があるのかと思った。

しかし、調べてみると流れ弾に打たれて命を落とすという事件が実際驚くほど多い。何の罪もない人たちがたまたまそこに居合わせたために命を一瞬で落としてしまうということなのだ。また、アメリカではこれまでに戦死した国民の数より、銃殺された国民のほうが上回るという記事を読んだ。

2013年にはアメリカのスターバックスが、今後スターバックスには銃を店内に持ち込むことは自粛してくださいと呼びかけた。

私はその記事と当時読んだときに、ということはスターバックス以外のカフェやレストランはどうなってしまうんだろうかと思った。街行く人々のバックの中に銃が入っていることがあると考えるだけで私にとってはクレイジーなソサエティーだ。

アメリカを嫌いなわけではないけれど、今まで個人の旅行で叔父と叔母を訪ねた以外でアメリカに行きたいと思ったことはない。それは銃のだけの問題ではないが、どちらかというと台湾やインドなどが好きだったからだ。

そしてわたしにとって、とても残念なニュースだったのが今となっては亡きジャックとミヨコのオクラホマ州で、2019年、2月27日に許可証も訓練も不要で銃の携帯が許可される新法が新州知事と署名を経て成立したことだった。

2019年11月に新法が発効されると、オクラホマ州では21歳以上の住民なら、だれでも有効な銃所持の許可証なしに、散銃弾やライフル、挙銃を合法的に購入し、公然と携帯することができるようになる。もちろん重罪で有罪判決を受けた人や、不法移民を除き、政府府庁内、学校やスポーツ施設などの公共施設への持ち込みは禁止になる。

ここに疑問が生じる。

本当に公共施設への持ち込みは防げるのだろうか?重罪を犯した人々に銃が簡単に手に渡らなくても、一般市民から金銭を通して彼らに銃が渡ってしまうことはないのだろうか?アルコール依存症や抗うつ剤使用者、ドラックユーザーもが許可なしに銃を手に入れることができるようになるならば、その安全性は?

既に多くの学校での銃乱射事件の犯人が犯行前から多量の抗うつ剤を飲んでいたのは周知の事実だが、その辺りはどう対処するのであろうか?

1998年のオレゴン州で15歳の少年が、自分の両親を銃殺後、自分の学校に向かい、銃を乱射し自分のクラスメイトを銃殺した彼は抗うつ剤を使用していた。1999年に起きた自分の学校の教師、生徒を含めた500人以上の殺人計画をして、その大量殺人計画は失敗に終わったが、自分のスクールメイトを結局乱射したコロンバイン高校の銃乱射事件、ワシントンのの海軍施設の銃撃事件、ミネソタ州レッドレイク高校銃乱射事件、バージニア工科大学銃乱射事件、ネブラスカ州の大型ショッピングモール銃乱射事件の銃撃犯も抗うつ剤を使用していた。コロンバイン銃撃事件の場合は、抗うつ剤だけが原因だけではなく、アメリカのスクールカーストや社会への不満、また二人のうちの一人がサイコパス的な性格を持っていたなど様々なことが要因となっていたようだが、奇妙な共通点として、スクール銃撃犯の平均年齢は主に15歳から23歳でほとんどが社会に不満を持った学生たちだった。

こちらで詳しく読めます。

またWhat drugs were the Columbine shooters on?と入力すれば、銃乱射の犯人が何の名前のSSRIを使っていたのか出てきます。

ニューヨークタイムズでもミネソタ州のレッドレークで16歳の男子高校生が自分の通うレッドレーク高校で銃を乱射し自分もそのあと自殺した事件とは抗うつ剤の関与性についてこちらでかかれています。

また、ミネソタ州のレッドレークの事件で9人の人々を殺害した10代の青年のJeff Weiseの親族は彼の抗うつ剤と銃乱射事件の関与性を疑っていた。親族は自分の息子が処方されてい抗うつ剤の薬物について疑問に思っていた。犯人の少年は既に多量の抗うつ剤を飲んでおり、事件の数週間前にも薬が増やされていたと述べている。

少年の父は挙銃自殺し、母は交通事故で脳に障害を負い施設に入っていた。少年はかわりに祖父母に育てられていたが、その祖母が亡くなり、彼の精神状態がおちつかなくなり自殺未遂を起こした為、カウンセリングを受けていたところ抗うつ剤を処方され始めた。

抗うつ剤を飲んでから人が変わったように攻撃的になったり、暴力事件や、青少年の自殺が絶えないので、2009年、7月3日には日本でもパキシルをはじめ、4種類のSSRIを服用した患者に、他人に暴力をふるうなど攻撃性が高まる症状があらわれている問題で、厚生労働省はメーカーに対し、攻撃性についての注意書きを入れるよう添付文書の改訂を指示している。抗うつ剤を飲んで、他殺願望、自殺願望が生じることがあるということなのだ。

実際抗うつ剤を処方されたあと、おかしくなってしまった人が外国人も含め、知っているだけで数人いる。

実際、友人から薬をやめたいと伝えても、精神科医から逆に増やされてしまい、どうしていいか分からない、やめたいのに、あると飲んでしまう、と相談された。私はその友人が通っている精神病院に電話を入れた。そして、大切な友人が薬を辞めたがっているのですが、どんどん薬の量を増やされて困っています、本人も困っているので担当医とお話することはできますか?と聞くと、本人としか担当医としか話せませんと言われてしまった。親族でないので理解できるが、その後、友人の異変に気付いていた友人の両親が同じように電話を入れて親だけで相談に行きたいとお願いすると、数分の保留の後で、その病院の受付の人に、その件はプライベートな問題なので本人と担当医しか関与できません、薬の量は担当医が患者さんの状態を見て決めます、というのが返答だった。自分の娘の精神状態が普通でないからでこそ、第三者、親族が関わるべきなのではないですか?と言及すると、そのクリニックはそれはできません。との回答だった。

精神科医はを製薬会社と契約した精神薬を患者に投与し続けることによって、巨額な利益を得ている。

ーもしも、仮にもしも、その利益のために子供たちや大人が犠牲になっているとしたら、それは許されるのだろうか?

心の傷はたった数粒の錠剤を飲んで脳内のセロトニンを増やすだけでなおるのだろうか?

疎外感、社会の問題、家族の問題からの心の傷からきている複雑な問題をうつ、と断定し、薬を飲ませることが本当に明るい未来への解決策になるのだろうか。

特に子供は体の健康だけでなく、精神面のケアはとても大切だ。アメリカで起こる青年の学校銃乱射事件はほとんどの青少年が心に何らかの傷を抱えている。それがこの社会への憎悪となり、悲劇をもたらす。

アメリカで繰り返される銃乱射事件は今でも止まらない。

1999年のコロンバイン高校銃乱射事件 をはじめ、

2007年のバージニア工科大学銃乱射事件 、2009年のフォードフット銃乱射事件、ビンガムトン銃乱射事件

2011年のトゥーソン銃乱射事件

2012年のサンディフック小学校銃乱射事件 、オーロラ銃乱射事件

2014年のイスラビスタ銃乱射事件

2015年のチャールストン教会銃乱射事件 、アンプクア・コミュニティカレッジ銃乱射事件 、 コロラドスプリングス・プランド・ペアレントフッド銃乱射事件 、サンバーナーディーノ銃乱射事件につづき372件。

2016年はオーランド ナイトクラブ銃乱射事件をはじめ136件

2017年のラスベガス銃乱射事件 サザーランドスプリングス教会銃乱射事件

2018年のストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件、テキサス州サンタフェの高校で起きた銃撃事件を含め、アメリカでは2018年に入って101件の銃乱射事件が発生している。

また、私の住んでいたカナダのトロントでも銃乱射事件は起きていた。わたしが休み時間に野菜を買いに行こうとしたときに、普段通っている道路が閉鎖されていたことがった。その後に、その通りで人が銃で撃たれたからだと聞いた。

銃乱射事件は亡くなった人だけではなく、残された家族、恋人、そして生き残った学生たちに深い心の傷を残している。

コロンバイン銃乱射事件から20年経った後でも事件に遭遇し銃弾を受けた当時の学生達、また生き残ったにも関わらず、自分が大切な友人を守れずに生き残ったことに罪悪感を感じ今でもその苦しみをかかえながら生きている人たちがいる。生き残ってもその時のショックでPTSDを抱えている人も多い。英語だが、こちらでコロンバインの悲劇を体験した彼らがどのように成長し、どのようにあの日といまだに向き合っているのか、彼らの実際の話が見れる。

現在、アメリカでは毎年36000人もの人々が銃によって命を奪われている。

毎日100人もの人々が銃の犠牲になっている。

シンガーでソーシャルアクティヴィストでもあるマイケルフランティはこれ以銃の犠牲者を増やさないためにもこの曲を書いた。

青少年の銃乱射事件を止めることは容易ではない。暗黙のスクールカーストの下層に入れられて、いじめられてしまったり、学校にとけこめない、子供の両親がアルコール中毒だったり、親から二グレクトを受けていたり、いい家庭に育っても両親の希望に答えられず、行き場をなくしてしまう子供たち、バイオレントなゲームや映画をしたり観ることによって感覚が麻痺し、現実でも殺人ゲームをやってみたいと現実とゲームの中の区別ができなくなってしまう子供たち。誰にも相談することができずに、ティーンにありがちなスランプの時期を精神に問題があると、最終的に精神科で精神病扱いされ、抗うつ剤を多量処方されてしまうティーン達。

実際にコロンバインの実行犯の青年二人は二年以上をかけてあのスクールシューティングを計画していた。そしてその事件を起こすまでにさまざまなサインを残していた。

コンピューターの対戦ゲームを通じて友情を築き上げた二人。

実行犯のうちの一人、エリックは事件の一年程前にブルックス、ブラウンの殺害予告を書き込んで警察に通報されている。もう一人のディランはあの事件を起こす数週間前に、学校の作文で堂々とある青年が残虐な形でスクールカーストで上位に入っているひとたちを銃殺していくというストーリーを書いている。ディランは平然と、その殺人者に対する敬意と崇拝の念を綴っていた。

作文担当の教師はその内容にぞっとし、スクールカウンセラーを通してディランの両親と面談をした。ところが、ディランの両親はすぐに話を変えてしまった。

本当にこの事件は防げなかったのだろうか?

何度もそう思ってしまう。

アメリカでは今年の2019年4月20日にコロンバイン銃撃事件20年の追悼記念をを迎え、再びこの事件が注目されているが、被害者たちのこころの傷が癒えることはいまだにない。

彼らは今現在もなぜこの悲劇が起きたのか、その答えを探し続けている。

未来の子供たちに夢に溢れた明るい未来を残してあげたい、という願望はもう程遠くなってしまった社会に私たちは突入してしまったのかもしれない。そうであるならば、私たち大人が少なくとも、安全で、健全に過ごせる社会を築き上げていかなくてはならないのだと強く感じる。

なぜなら、今の子供たちがいつか大人になり、父親や母親になって、またその間に生まれた子供たちが未来を担っていくから。今の子供たちが幸せならば彼らの未来のこどもたちも幸せになる。

そしてその未来に銃はいらない。

Disarm hate

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