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Why is there a war in Syria?シリア戦争は外国の侵略戦争。内戦ではなかった。世界平和、そして私の平和についての想い。


みなさんシリアという国がどこにあるか知っていますか?そしてシリアで一体何のために、戦争が起きているのか知っていますか?今回は私の平和への物語も含めてシリア戦争のすべてについてお話します。

シリアはトルコの南、イラクの西に位置している小さな国です。紛争が始まる前は国民識字率9割以上の中間所得国で十分な生活力のある国でした。しかしシリア戦争が始まり、今となっては世界最古の都市アレッポを含め多くの地域が変わり果てた瓦礫の町となりました。

私はシリアで何が起きているかを知るために2011年にシリア戦争が始まってから、英語や日本語でのニュース、記事に注意を向けてきました。私は何故か幼少期の時から母が好きな本を買ってあげる、というときまって戦争の本を選んでいました。私にも何故かわからなかったのですが、家には、チロヌップのきつね、えっちゃんの戦争、ひめゆりの塔、など沢山の戦争の本があります。そして祖母や祖父に戦争の話を聞かせて、とよくお願いしていたのを覚えています。

そして、自分の読んでいた児童書や祖父の戦争体験の話から平和について考え始め、幼少期から中国と友好関係を結びたいと思うようになりました。その後、月日は流れ、私は大学に入り、アルバイト先で中国人の人たちと出会ってから大学時代は大学の友人だけでなく、中国の友人ともよく出かけていました。日本のすぐ隣の国なのにこれほどにも文化が違うなんて、と驚かされる部分もたくさんありました。

大学時代は彼らと仲良くなり、中国の文化もたくさん教わり、私自身も中華街でアルバイトを増やしながらさらに中国の人たちと交流を深めていきました。

その時の中国はまだ富裕層がそんなに多くなく、経済的にも良くなかったので、アルバイト先で知り合った中国人たちの友人は語学学校に通いながら、アルバイトを週六で続け必死にお金を貯めていました。日本語を流暢に話す中国人の友人たちに感化され大学四年生の時、中国の大学でもっと中国と繋がりたいという思いから中国語を本格的に学びたいと思いました。現在では中国語はビジネス目的などに人気の言語ですが、その時は中国語は全く注目されていなかったので、周りの友人にはなぜ中国語?面白いね、と不思議がられていました。

そこには私の心の奥底には幼少期からの思いがありました。人々は戦争、悲しい記憶を超えて繋がることができるとー。いまでもその気持ちは今も変わっていません。

そして中国への思いはどんどん募っていきました。アメリカ人の叔父がいたことで、若いころからアメリカの叔父のところへよく滞在していた母や、そのアメリカの叔父からは中国語も良いけれど英語環境で仕事場でしっかりコミュニケーションをとれないと海外ではやっていけないよと言われました。中学生のころ叔父に全て面倒を見てあげるからオクラホマのコミュニティーカレッジに来なさい、と言われたものの、私には行く勇気がなかったので断ってしまいました。だから二回目のチャンスは掴み取ろうと思いました。私は大学卒業後、学生時代に貯めたお金でカナダに渡り、現地のアメリカ企業ですぐ仕事を始め、その一年後ににカナダの会社から永住権のオファーをもらい長くいてほしいと言われたものの、中国語を勉強したいという強い思いは変わらなかったので、予定通り中国語を学びにいくことになりました。中国の北京に行く予定でしたが、当時、北京の政治情勢が安定しておらず、日本にいる中国人の友人達に中国行きを強く反対され、台湾のほうが気候も良くて安全だからと強く薦められ、台湾にすでに友人もいた私は不思議なことに台湾の国立大学に留学することになりました。

そこでは中国と台湾の文化の違いも学び、とても勉強になりました。台湾の台湾師範国立大学で中国語を勉強した後、日本へ帰国すると、富裕層の中国人が増えてきた頃だった為、中国語を使った仕事の需要が増えていており、私は国際化したばかりの羽田空港の免税店で中国人専門の営業をしていました。当時、日本語を話せる中国人の方は多かったものの、日本人の社員の人ときちんと日本語でコミュニケーションがとれ、中国を話せる日本人はまだ少なかったため職場では重宝されました。

日本にいながら再び中国人に囲まれながら仕事ができ、私にとっては最高の職場でした。

有給休暇の時は同僚の一人の中国人の周さんという人に結婚式の仲人をして欲しいと言われ、他の中国人の同僚と一緒に生まれて初めて中国の北京に行ったのを覚えています。結婚式では200人近くの中国人の人の中私は日本人一人でした。私は歴史背景から日本に来たことのない中国人たちに会うことに少し緊張していたのですが、そこで体験したのは彼らの優しさと暖かいおもてなしでした。老夫婦も多かったため、日本人に良い感情を持っていなかった人もいたはずですが、みなとてもやさしく火鍋をごちそうしてくれたり、日本の技術はすごいね!いつか日本に行ってみたいよ!など日本に興味を持っている人たちがとても多かったのを覚えています。

その翌年、私は香港にに移住し、台湾時代から始めたヨガに運命を感じた私は香港でヨガを教え始めました。香港での生活がとても充実していたので、平和について深く考えることもすっかり忘れていました。

そんなある日のことです。恐ろしい夢を見ました。

私は夢の中で巨大な火の玉に追われ、町中は炎で燃え上がっていました。私は必至で走ろうとしますが、すぐ後ろにある火の玉はどんどん私に近づいてきました。人々の身なり、町並み、話している内容から私は太平洋戦争の中にいるのだとわかりました。必死になって逃げようとしているところで私は夢から目が覚めました。その夢はまるで実体験のようで、とても夢とは思えませんでした。

汗だくで起きた私はまるで戦争を実体験したような感覚でしばらくぼーっとしていました。

そして気が付きました。その日は8月15日、日本の終戦記念日でした。

日々の楽しい生活から平和について考えることを忘れていた私にその夢は世界の問題を忘れてはならないよ、というようなメッセージを残してくれたような気がしました。

不思議なのですが、このようなことが私には時々あります。

そんな理由から、イラク戦争、スーダンの内戦、チベット問題、シリア戦争、など、世界の多くの問題は他人事のように思えないのです。同じ地球でいまだに殺し合いが起きているなんて私には信じられないのです。

朝、平和に目覚めて、ヨガをして、朝食をとり、平和に一日を過ごせる、そんな普通の一日が幻のようにも時々思えるのです。

世界の問題は消してなくならない、これが現実です。ただ私はみなさんにシリアで何が起きているか、どれだけの罪のないシリアの民間人がなくなっているのかみなさんに知ってほしいのです。

今日は大みそかです。世界中の人々、この記事を読んでいるあなたはどんな2018年を過ごしたのでしょうか?

2019年は世界が少しでも平和な社会に近づけますように、そんな思いから大みそかの日にシリアの戦争について書くことにしました。

シリアという国

戦前の美しいシリア

シリアは戦争が始まる前は美しい世界遺産の街と言われていましたが、今となっては世界最古の都市アレッポを含め多くの地域が変わり果てた瓦礫の町となりました。

現在のシリアを見たいという方はこちらの記事でシリアの人々と、現在の様子が見られます。

現在シリアは非常に複雑な状態にありますが、できるだけ簡単にお話します。歴史を辿ると中東諸国というのはもともと部族の集まりで国としての体制がありませんでしたが、欧米諸国が石油利権を得やすい部族長に肩入れして中東に介入し、のちにイギリスとフランスの都合でシリアとイラクに国境をつくり線を引きました。中東にはご存知の通り石油資源で溢れています。これを知っていたアメリカは1930年代にサウジアラビアで石油の利権を獲得してから、この地域で巨額の利益を上げてきました。

外務省に入省し、在エジプト大使館一等書記官を振り出しに、在イラク大使館、在ヨルダン大使館の参事官、在カメ ルーン特命全権大使などを経て、2006年在シリア特命全権大使に着任したくにえだ・まさき氏は東洋経済のインタビューで、こう述べています。

『2010年まで4年間駐在した当時は、シリアの社会全体は非常に明るかった。父の跡を継ぎ2000年に発足した現バシャール・アサド政権は紛れもない独裁政権です。だが、彼自身は反アサドの欧米や周辺国が作り上げた悪のイメージとは違い、体制内改革を推進していました。閣僚たちには、傲慢を捨て国民とともにあれと折を見て訓示し、治安当局には国民との関係改善を進めさせていました。一部の不満分子には厳しく対処しても、一般市民への態度は先代とは劇的に変化していたんです。そういう意味でアサド大統領はかなり努力しました。ところが2011年3月に最初の民衆蜂起が発生し、政権転覆をおそれた治安当局は再び牙をむきだした。アサド現政権の10年間の改革は水泡に帰してしまった。一連の反体制派による内紛を、アサドは外国から押し付けられた戦争だと思っています。国内の反体制派組織は約3000で、大半はいわゆる強盗団ですが、いくつかの勢力は外国から支援を受けている。アサド政権としては、外国が資金・武器・兵站支援を止めさえすれば、1カ月で事態は収まると考えていました。過激な原理主義勢力がイラクに戻った、ソ連のアフガニスタン侵攻で、米国から支援を受けたアルカイダなど過激な原理主義勢力がイラクに戻った。シーア派マリキ政権下でスンニ派市民の間に不満が高まると、それに乗じてイスラム国が活動を始めます。彼らは一部をシリア国内に潜伏させ、2011年の民衆蜂起を機についに動きだし、支部のような形で反体制派ヌスラ戦線を発足させました。』

こちらの東洋経済のウェブサイトで国枝氏の全文が読めます。

                    アサド大統領とアスマ夫人

シリアが現在の戦争に陥る前、シリアでは反政府派に入ると逮捕されたりと国の問題は事実ありました。しかし武力闘争に発展することはなく、シリア国内でのアサド政権支持率は高いものでシリアは安定していました。現在難民となってしまった人々も実際私たちと変わらずスマートフォンをもち、普通に仕事をしていた人たちが多いのです。シリアは教育水準が高く、中間所得国で十分な生活力のある国でした。その安定を保つことができていたのは中東の独裁政権です。中東では30年もの一人の独裁者がその国で権力を持ち続けることも珍しくはありませんでした。シリアという国のもっとも興味深いところはシリアは宗教色が薄く、宗教的に調和していた国だといえます。シリアは他国で宗教を理由に弾圧を受けてきたキリスト教徒、イスラム教徒たちが逃げ込む国でもありました。シリアの人口構成を宗教・宗派別に見ると、最も多いのはイスラム教スンニ派で74%ほど。続いてシーア派系のアラウィ派で13%余り、キリスト教のさまざまな宗派合わせて10%と続きます。


アサド大統領はイスラム教穏健派である少数派のアラウィ派で、政権の中枢もアラウィ派で占められています。軍や治安機関の上層部にもアラウィ派、スンニ派やキリスト教徒、それに民族的にアラブ人とは異なるクルド人も取り込んだ支配体制が形成されています。シリアが、サウジアラビア、カタール、バーレイン、その他、この地域のいろんな米同盟政権と違うところは、宗教の自由であったのです。戦前にシリアに行かれたある方は、こう記しています。


なぜシリアがこれほどまでにいろんな国や宗教などに狙われるのか、日本人は知らない人が多いかもしれない。 それはこの国が地政学上、とても重要な土地だからだ。(もちろん、宗教的な意味合いも含めてね) そして、エネルギー政策的にも重要だからだ。 さらに人々が優しすぎるからだ。 優しすぎて抵抗する力を持っていないからだ。 そう思う。

記事はこちら。



                  2008年、パリ近くに降り立つ夫妻


シリアという国はバアス党一党独裁国家ですが、このバアス党というのは世俗主義を掲げており、政治と宗教を切り離していました。その為、シリアでは人口の7割を占めるスンニー派も、1割程いるキリスト教徒も、少数派のアラウィ派やドルーズ派、アルメニア人等も宗派間対立することなく暮らしていました。シリアでは、スンニ派、キリスト教、アラウィ派、ドゥルーズ派、ユダヤ教、その他の宗教集団が、それぞれの宗教慣行を自由に行うことが許されているところです。

事実、シリア大統領バシャール・アル‐アサドは、アラウィ派ですが、彼の妻アスマ夫人は、この国の大多数であるスンニ派であることも知られています。そしてシリアの女性は、教育や健康、学術の面で男性と同等の権利が認められており、シリアの女性はブルカ(イスラム教の女性が着用する全身を覆う服)の着用は強制されていませんでした。アラブ国家の中で、シリアだけは憲法が宗教に関係のないものになっており、その他のアラブ諸国でキリスト教徒の数は長年に渡って敵対的な扱いを受けているのに反してシリアはでは宗教の違いを受け入れていました。そしてシリアは西側諸国の社会や文化に対して、他のアラブ諸国に見られないほどオープンである国だったのです。現在の内戦が起こる前は、周辺国の中ではシリアだけが唯一平和な国でした。大戦争や国内の紛争を避け続けてきたからです。そしてイラクからの難民を、社会的、政治的、宗教的差別を行うことなく受け入れた唯一の国でした。












英国で生まれ育ったスンニ派シリア人のアスマー夫人。ロンドン大学キングス・カレッジを卒業後、JPモルガン(英語版)の投資銀行部門でM&Aを手がけるキャリアウーマンだった。

アサド大統領とアスマ夫人、パリ、2010年

シリアの街にはすっぽりと黒のアバヤを被った敬虔なイスラム教徒の女性もいれば、タンクトップ姿の女性もいたり、キリスト教の人とイスラム教の人が街でお茶をしていたりと内戦前はシリアではキリスト教徒であれ、シーア派であれ、スンニー派であれシリアの人々は気にせずに暮らしていました。そんなシリアで、シリア政府軍 VS 反政府軍 での武力を使った勢力争いが始まったのです。そして2つの勢力が争っているところに「ISIS(イスラム軍)」という組織も現れました。 ISISというのは、元々は米国から支援を受けたアルカイダなど過激な原理主義勢力です。 ISISは、反政府軍と似ているところがありますが、ISISと反政府軍では目的が異なります。 過激派ISISの目的は、自国イスラム国を作ることです。それではなぜ宗教の自由が認められ、反対派はいたもののアサド政権支持率が高かったシリアがこのような戦争に陥ったのでしょうか?


シリア正教会修道院を訪問するアサド家



2012年、シリア戦争が始まってからもアサド大統領を支持するデモ行進するシリア国民

More than a million Syrians participated, it said — and people were shown singing, “We love you” and holding pictures of Mr. Assad. (100万人以上のシリア人がアサド支持の行進に参加し、シリア国民は「We love you 」と歌っている。)

シリアの首都ダマスカスで新憲法案の是非を問う国民投票を行うアサド大統領とアスマ夫人 2012年

シリア戦争が始まった理由

これにはアメリカとロシアが深く関係しています。ご存知の通りシリアが代理戦争と呼ばれているのはシリアという国を使ってアメリカとロシアを中心に大国が争っているのが理由です。

アメリカや他の欧米諸国は、中東で起きた民主化を目的としたアラブの春の革命から、シリア国民が暴力的な反乱を起こしたとして欧米連合軍が武装組織を編成しシリアに攻め入りました。しかし武器や、武力をシリアに送っていたのはアメリカとそれを支援する国々です。シリア戦の真の理由は2010年シリア見つかった大油田の発見とパイプラインをめぐってのアメリカとロシアの石油戦争です。いままでなぜ欧米諸国が中東にこれまでも介入してきたのか、その歴史をみるとそれは石油と深くかかわっています。

またシリアは北はトルコ,東と南東はイラク,南はヨルダン,南西はイスラエルとレバノンと国境を接する地政学上重要な位置にある為、アメリカを中心とした同盟国は石油、パイプラインを狙ってシリアのアサド大統領を失脚させるために武力を使ってシリア反政府軍を作り上げます。反米国家のロシア、中国側から支援を受けているアサド政権をアメリカは許しませんでした。

それについてとても興味深い記事がこちらにあるので添付します。読んで見てください。

実際、欧米や日本のメディアでは、アサド政権を支援する国々は、ロシア、中国、イラン、 レバノン 、反政府軍を支援するのは アメリカ、フランス、イギリスなどを中心にイスラエル、 トルコ、カタール、 サウジアラビア とはっきり伝えています。これを見ていて気づく点があります。それはまさにシリアでの政府軍が反米国家、反政府軍が親米国家にはっきりと分かれています。 不思議なほどです。

これはただの偶然でしょうか。

いいえ、世界のこういった大きな出来事に偶然はほぼありません。これがシリア国内の政権が問題で戦争が始まったわけではないはっきりとした証拠です。シリアとイランを制覇できればアメリカはほぼ中東を支配できることになります。そのため、アメリカ、イギリス、フランスががシリアをミサイル攻撃してアサド政権を倒そうとしました。アサド大統領は、アメリカを中心したイギリス、フランス、トルコ、カタール、サウジアラビアの各国が武力をシリアに持ち込んで戦争を始めた為、数えきれないほどの罪のない民間人が亡くなってしまった、と述べています。

ダマスカスの北東、Jobarを訪問し、兵士たちと話しているアサド大統領

年配の民間人もシリアの国を守るために参戦した

参加した民間人は私たちと同じように普通に家族を持っていた小さな子供のお父さんたちでもあった。

シリアの反政府軍、ISISの大多数は外国人、つまり非シリア人です。中東全体からきた貧困に追い込まれた人々が、シリア政府と戦うように募集され、バーレインの施設で訓練された人々がシリアに送られています。そしてヨーロッパのニュースを見ているとイギリスやベルギー、フランスなどヨーロッパ諸国からも、普通のごく普通の過激派でも何でもないイスラム教徒の大学生だった青年が勧誘をうけシリアに渡りシリア戦に参加するというニュースをみます。彼らの両親はある日、こつぜんと息子がいなくなった、と言う。そして、次の連絡では息子はシリアにいるということだった。過激派はインターネットを駆使して 欧州での移住生活に苦しみ、中東出身の若者たちに狙いを定めています。勧誘に接した若者たちの中には 現実の生活における不平や偏見に苦しみながら、人生の意味を求め自身の存在の証を探り続ける人々がいます。 過激派は その人々の心の空白に入り込み 「正義に基づき 人々の賞賛を得られる社会を建設しよう、と言葉巧みに誘いをかけます。

一連の反体制派による内紛を、アサドは外国から押し付けられた戦争だと思っています。国内の反体制派組織は約3000で、大半はいわゆる強盗団ですが、いくつかの勢力は外国から支援を受けている。アサド政権としては、外国が資金・武器・兵站支援を止めさえすれば、1カ月で事態は収まると考えていました。過激な原理主義勢力がイラクに戻った、ソ連のアフガニスタン侵攻で、米国から支援を受けたアルカイダなど過激な原理主義勢力がイラクに戻った。と、シリア特命全権大使に着任していた国枝氏も述べていたように、シリアはこの戦争を望んではいませんでした。

廃墟化したシリア

世の中の問題はなくならないものです。アフリカ各地でも、内戦を悪化させる一つの大きな原因はダイヤモンドです。今でも中央アフリカ共和国やコンゴ民主共和国で断続的に戦いが起こっています。それらの内戦を悪化させた(させている)のが、ダイヤモンドをはじめとする資源です。2006年に公開された映画「ブラッド・ダイヤモンド」(レオナルド・ディカプリオ主演)は、シエラレオネの内戦で、反政府軍が地元民を強制労働させる様子、自分の故郷や家族を襲わせる様子など、実話をもとにつくられた映画です。

ダイヤモンドを理由に紛争が起こっている、そしてそのダイヤモンドは一体どこへ渡るのかー答えは欧米諸国などの先進国、日本も含まれます。その後、ダイヤモンド原石を輸出する時、これは紛争ダイヤモンドではありませんという証明をつけて輸出する取り組みであるキンバリープロセスという制度が定められました。しかしこの制度にも問題はたくさんあります。そして遠いアフリカでさえも、私たちはこの問題に関わっていないとはいえないのです。

シリアで2011年3月に戦争が始まって以来、480万人近くが国外に逃れました。しかし、アレッポで包囲下にあるおよそ27万5000人のシリア人には、逃れるという選択肢はなく、いまや地域全体が廃虚と化していています。

2018年12月にトランプ大統領はついにシリアから撤退すると発表しました。

7年前に始まったシリア戦争による死者はこれまでに32万人以上に上っていると在英の非政府組織(NGO)「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」が発表しています。死者全体のうち9万6000人以上、約3分の1が民間人、うち子どもが1万7400人超、女性が1万1000人近くとされています。そしてシリア人だけではなく、シリア内戦に行かなければならなかっアメリカの帰還兵たちも帰国後、PTSDなどに悩まされている軍人たちが多いとされています。アメリカのTVシリーズなどを見ていてもイラク、アフガニスタン戦争のフラッシュバックで精神を病んでしまっている人のシーンなどをみることがあります。

アメリカ軍人についての記事は、こちらでそれについてもう少し詳しく説明されています。

行き場所のなくなったシリアの人々は世界をさまよいます。ヨルダン、トルコ、そしてヨーロッパへ。それでも元の生活が彼らに戻ることはないのです。

アサド大統領の妻、アスマ夫人はシリア戦が始まってから負傷した兵士たち、子供達、民間人へのサポートを懸命に続けています。英語のみになりますが、アスマ夫人の負傷した人々への活動へのインタビューがこちらでみれます。

ダマスカスの孤児院で食事を盛り付けるアスマ夫人

ダマスカスの首都の郊外で反乱の戦闘機によって使用されていたトンネルを見学するアサド大統領とアスマ夫人 

アサド大統領は、日本のTBSのインタビューに対して、こう述べています。アメリカがシリアに対して行ったことはイスラム国と戦っていたシリア兵の殺害以外、何もしていません。シリア独立以来、シリアの国が70年間かけて築き上げたシリア人のインフラは破壊され、油田、学校、橋、製油所、何もかもが破壊されました、とこのインタビューの中で述べています。アサド大統領は、シリアの国の再建、復興には時間がかかりますが、それは最大の問題ではないとしています。

何よりも懸念されるのは何年もイスラム国やヌスラ戦線の支配下におかれた人の心をどう再建するかです。彼らの心は憎しみに満ちたワッハーブ派の思考を植え付けられ、汚染されています。彼らは死や殺人を見てきました。子供たちが罪のない人々を殺したこともあります。どうやってこうした心を再建し、元の状態に戻すことができるでしょう?これが危機が終わったあとの大きな問題になってきます。

と述べました。

アサド大統領が言っているワッハーブ派とは、私たちがISISと呼んでいる過激派集団です。ワッハーブ派とは、過激派の思想をもった人々で、現在シリアやイラクで活動を拡大しています。どのような犯罪行為も惜しまないISISの正体はワッハーブ派の集団です。彼らは「イスラム国」を建国しようとうたっていますが、彼らは本物のイスラム教徒ではありません。彼らはイスラム教徒という仮面をかぶった裏社会組織に過ぎないのです。彼らが本当に個々に集まった過激な思想をもった一般の武装組織であるなら、7年にも渡るシリアを占領する軍事費用、大量の武器、莫大な軍事資金は一体どこからきているのでしょう。戦闘を続けるには莫大な軍事資金が必要です。過激派ISISになぜそこまでの軍事力と資金があったのか、みなさんは不思議に思わないでしょうか。

彼らは民主主義や自由の要求の名の下に、イスラム教徒と名のつく多くの暴力的な人物やタクフィーリー主義者を、世界各地からシリアに集めています。彼らの狂信的な思想はイスラム教と何の関係もありません。そしてこれら組織に経済支援を行っているのがサウジアラビア、欧米諸国です。サウジアラビアは世界最大の石油の埋蔵国、生産国であり、また西側にとっては武器の大市場であるとともに中東地域におけるアメリカの政策の実行役だからです。そして過激派の武器はどこから手に入れているかという質問に対してアサド大統領は、ワッハーブ派の過激派はトルコから武器などをトルコから手に入れている。テロリストにとっての唯一の金銭、武器、あらゆる物的供給、新兵などの物質の入手経路は、トルコを通っている。北からの他の道は彼らにはないと述べた。米国はシリア政権転覆のためなんでもする、モラルはない、米国のシリアでの目的はアサド政府を転覆させることだ、あらゆることが起こりかねないと述べた。ちなみにシリア、中東では過激派、アメリカが呼ぶイスラム国、ISISのことをダーイッシュと呼んでいます。イスラム教徒やイスラム系国家への誤解が大きく懸念されるからです。実際のところ、イスラム教のことを知らない人たちが、メディアを通じて、イスラム教=危険なイメージを抱く人も少なくはないでしょう。

アサド大統領はTBSのインタビューでこう述べています。

過激派はアメリカの管理下で生まれました。2006年ISISを名乗る前のISはイラク国内だけに存在していました。シリアで紛争が始まるとシリアとイラクのイスラム国を名乗り、後にトルコは過激派を支援しました。過激派は石油を輸出し、資金を得て戦闘員勧誘にシリアの油田を使ったが、トルコはこの石油の密輸に関わっていた。エルドアン大統領自身もイスラム国に関与し共犯関係にあります。ですから、トルコやアメリカが過激派との戦いに参加するとは期待できない。あからさまな例としては、数週間前アメリカのドローンによる監視の中、過激派がパルミラを再び制圧したことが挙げられます。彼らは砂漠の中を抜けて来てパルミラを占領したのです。私たちが話をしている今日も過激派はシリア東部デリゾールを攻撃しています。しかし、アメリカ人は過激派を止めるため何もしていません。ここはいわゆる有志連合が一年半活動してきた地域です。それどころか、人々が殺され、全てが破壊され、ワッハーブ主義という憎悪に満ちた思想を市民に押しつける中、その国の政府が何もせず、ただ見ているのは許されると思いますか?

アサド大統領の日本人記者、全インタビューをご覧になりたい方はこちらで見れます。

以前にこのシリア戦争に非常に似た例があります。

イラク戦争です。アメリカは2003年、イラクは大量兵器を保有しているとして、イラク戦争を攻撃し始めました。が、のちに報告書でアメリカは大量破壊兵器を探したが、イラクには存在しなかったと結論付けたのは記憶に新しいです。この戦争で、イラクでは10万人以上の人が亡くなりました。

アメリカが心から世界の国民の平和の為に戦うのならば、ミサイルを飛ばし、明らかに核兵器を所有している国、北朝鮮をなぜ未だに攻撃しないのでしょうか。なぜ、核を保有しているかも定かでないイラクに攻め入ったのでしょう。

石油利権を手に入れる為です。イラクの石油埋蔵量は世界第2位で、世界中で発見されている全埋蔵量の11%を占めているからです。アメリカの原油は、2016年までに枯渇するとされていました。

今回アメリカがシリアから撤退したのはいくつかの理由があげられますが、今回の撤退も含めてアメリカはもう中東にあまり用はない、ということです。その一つの理由としてシェールガス革命が起きたからと推測されます。シェールガスとは、従来のガス田以外の場所から採取される天然ガスのことで、頁岩(シェール)層に存在しています。これまでは、この層からシェールガスを取り出すためのコストが高く、商業ベースで考えた場合、採算が合わずに採取が進んでいないというのが現状でした。しかし、2000年代に入ってから、シェールガスを採取する技術が確立され、事業として参入する企業がだんだん増えていきました。その結果、シェールガスの生産量は大幅に上昇し、今まで困難であったシェールガスの採取が、シェール層からの採取技術の向上により、シェールガス、シェールオイルを採取しやすくなりました。その為に安価なシェールガスが市場に流れ、これまでの世界のエネルギー事情が大きく変わりました。その影響はエネルギー分野に留まらず、経済や金融にまで及んでいます。シェールガスが豊富なアメリカでは安価なエネルギー源を手に入れたことで製造業の復活の兆しが見えました。まだシェール革命には問題は山積みですが、そのシェール革命の結果、アメリカは今では原油生産量世界1位です。2位はサウジアラビア、3位ロシア。アメリカは、天然ガス生産量でも世界一となりました。

要するに中東にもう関心はそれほどなくなったということです。

もう一つアメリカが戦争を続ける理由として言えるのが、アメリカにとって戦争を起こすことは軍事産業です。過去のベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争もそうです。 軍事大国のアメリカは戦争や紛争が起これば軍事産業が活況化し軍事関係の会社を運営しているユダヤ資本家たちにとって経済的に潤うでしょう。また、それらの情報を事前に察知し易いユダヤ資本筋は 株の売り買いでも利益が上げられるからでしょう。

ヨーロッパのニュースでテロで何人亡くなったというニュースをみることがあります。

しかしシリアで何の罪もない民間人、女性、子供たちが亡くなっているというニュースをみることはありません。

久しぶりに日本に帰省した時に母と街を歩いているときに、毎年数回高島屋やデパートに特別出店している素晴らしい芸術家の方とお話しすることがありました。彼女のあまりに美しい作りのお財布や小物、バック、ブックカバーなどの数々の作品、そしてその場のやさしい雰囲気に魅了されてしまい私はしばらくその場にたたずんでしまいました。するとその芸術家の女性は私に話しかけてくれました。彼女の作品を拝見してイランの伝統工芸が組み込まれていると気づいたわたしは、これはイランのデザインですか?と聞くと、彼女は嬉しそうに、そうなんです。と答えてくれました。

私は30代前半まで外国に行ったことなかったのですが、だんだんイランに魅了されるようになり、もとからモノ作りの好きだった私は気づけばイランの有名な芸術家に弟子入りしていました。イランでの生活はわたしにとって素晴らしいものでした。中東に行くって周りからも驚かれましたけど、中東ってイメージだけで本当にやさしくて、温かい国なんです。とくにイランは素晴らしい国でした。と話してくれました。

私は、あなたに共感しますと伝えました。今ははメディアのイメージや映像、ニュースばかりが目立ってしまって中東のイメージが非常に悪くなっていると感じます。行ったことない人たちも中東は怖いというイメージを抱かざるおえないでしょう。ただ、わたしはメディアだけを鵜呑みにしてそのように判断したくはありません。なぜならメディアはすべてではないし、全ての真実を映し出しているとは限らないですから。と彼女に伝えました。

私はその女性と何か通じるものがあり、彼女もまた私の心をわかってくれているようでした。彼女はこう言いました。私の作品が素晴らしいと、目を向けてくれるお客様はたくさんいます。ただ、このように中東についてお話しできる人は本当に少ないんです。私の作品はイランへの愛に溢れているので、このようなお話をできるのは私にとって本当に嬉しいことなんです!とおっしゃってくださいました。

私は言葉だけでなく、作品としてイランへお愛を表現している彼女を本当に素晴らしいと思いました。

アメリカが撤退しても、前のシリアはもう存在していません。壊されてしまった国だけではない、失われてしまった人々の心、全てを含めてシリアの人々がいつか元通りに暮らせるようになるには、長い長い年月が必要になるでしょう。

シリアで何が起こっているかもっと深く知りたい方はこちらを読んでみてください。こちらの記事でも詳しく読めます。

世界に平和を。Peace, peace, peace

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